マッチのレッテルに大正ロマンを求めて

燐票コレクション

燐票年表 1

擦附木

幕末、黒船により日本にもたらされた舶来品のマッチは『阿蘭陀附け木』『メリケン附け木』『懐中附け木』『メッチ附け木』等々呼ばれていたが、明治4年の「新聞雑誌」に出た『擦附け木』の呼び名が、国産マッチが出回り出した後も定着していたようだ。 当初、マッチは動物の骨などを原料とした黄燐マッチであったため、鼻をつく異臭と青い燐火により『不浄物』扱いされた。その為『清浄請合』『神仏灯火用』の文字を入れた。

燐票年表

明治8年(1875) 西欧に遅れること約50年、フランス帰りの清水誠が東京で初めて黄燐マッチの製造を始めた。
明治9年(1876) 清水誠 『新燧社』 を創立。
明治10年(1877) 『新燧社』清国・上海に初輸出。
神戸では神戸監獄内の工場で囚人によりマッチの製造を始めた。
神戸監獄製

新燧社のマッチラベル

そのデザインは葉桜を描いた銅板一色刷りのものと、一輪桜と文字、馬を配したものであった。

明治11年(1878) 東京で始まったマッチ製造は、比較的小資本且つ低賃金の女子労働力を利用できるため忽ち全国に広がり、明治11年神戸で華商の黄駿源がマッチ製作所を開業したのをきっかけに、華商による大陸貿易の中心であった神戸大阪でのマッチ製造がめざましい発展を示した。